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ラオス>著名な社会活動家誘拐される(10)

メコン河開発メールニュース2013年12月17日

連日お伝えしているように、ラオスの社会活動家ソムバット・ソムポーン氏が何者かに拉致されて、12月15日で丸1年になりました。メコン・ウォッチでは、他の日本のNGOと協力して、東京で開催された日・ASEAN(アセアン)首脳会議の場で、日本政府・安倍晋三首相が、ラオス政府に対して、ソムバット事件の真相解明や国内の人権状況の改善を働きかけるよう要請書簡を提出しました。
http://www.mekongwatch.org/resource/documents/rq_20131212.html


パネリスト:(左から)Evelynさん、Shui Mengさん、Pabloさん

一方、タイ・バンコクでは、12月11日の夜、外国人記者クラブ(FCCT)で、「ソムバット・ソムポーン〜あれから一年」と題するパネルディスカッションが開催され、約50名が参加しました。

この日は、ソムバット氏の妻、Ng Shui Meng(ウン・シュイメン)さんもパネリストの一人として登壇しました。Shui Mengさんが公の場で発言することは、安否確認のできないソムバット氏ばかりか、ラオスで氏の帰還を待つShui Mengさん自身にとってもリスクをともないます。パネルに参加するに至った心境を、Shui Mengさんは、「失踪事件後、ソムバットについて、間違った報道や情報が流れています。ソムバットがどういう人物であり、どういう考えの持ち主であったかを、妻の私の口からみなさんにお話ししておく必要があると痛感し、この場で発言する決心をしました」と説明しました。

二番目に発言したPablo Solón(パブロ・ソロン)さん(Focus on the Global South代表)は、南米・ボリビア出身で、42年前の1972年、独裁政権下でお兄さんが行方不明になりました。お母さんとのねばり強い働きかけの結果、実に30年後、ボリビア政府にお兄さんの行方不明が政治的失踪であったことを認めさせたということです。Pabloさんは、「兄が失踪してから、兄のことを想わない時は、一瞬たりともありませんでした。家族の悲しみは、時を超えています。私の気持ちはShui Mengさんとともにあります」と発言を結びました。

三番目の発言者Evelyn Balais-Serrano(エバリン・バライス−セラノ)さん(Asian Forum for Human Rights and Development代表)は、アセアン各国で、ソムバット氏のように、貧しい人びとのために尽力する活動家やジャーナリストが次々と弾圧されている現状に触れ、「人権を守るべき国家が人権を侵害し、人権を守るための法が人権を侵害するために悪用されています。根底には、いわゆる『アジアのリーダーたち』の中に、『人権は西洋的な概念である』として、その普遍性を否定し、『アジア的なやり方』を正当化する人びとがいるからです。私たちは、ねばり強く闘っていくしかありません」と参加者に呼びかけました。

また、ソムバット氏の思想にも影響を与えた、タイの著名な社会活動家Sulak Sivaraksa(スラック・シワラック)氏は、会場から、「ラオスはどこよりも仏教を尊重する国で、たとえ拉致した者であろうと、無益に殺生したりはしません。私自身、何十年も経ってから解放された人物に会ったことがあります。私は、ソムバット氏が無事だと思っています。ラオス政府を追い詰めるのではなく、うまく働きかけることで、なんとか、いつの日か、ソムバット氏を取り戻せるものと信じています」と発言しました。ラオス政府関係者などとも独自のパイプを持っているSulak氏の発言だけに、注目されました。

以下は、Shui Mengさんの発言からの抜粋です。

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ソムバット氏の人物と思想を語るShui Mengさん

「ソムバットは、ラオスに生まれ、1970年代、米国・ハワイ大学で農村経済学を学ぶ機会を得ました。当時の開発分野では、『緑の革命(Green Revolution)』が全盛期でしたが、ソムバットは、高価な農薬に依存する緑の革命が、ラオスの現実に役立たないことを瞬時に察知しました。これは、ソムバットがラオスの農村に生まれ、ラオスの農村の子として育ったからに他なりません。この一例でも分かるように、ソムバットの人生と活動には、彼がラオスの農村出身であった事実が深く影響しています。

「米国政府がインドシナ紛争に介入していた当時、ハワイに住むラオス人たちの間でも国のあり方をめぐって意見の対立がありましたが、ソムバットはどちらにも与しませんでした。一方で、平和主義で知られるクエーカー教徒の人びとと交流したりもしました。そうした体験を重ねながら、ラオスの将来に資する開発のあり方を考えようとしていたのです。

「やがて、ラオスで革命勢力が政権を奪取しました。米国での就職の機会や多くの友人たちの警告を振り切って、ソムバットは、社会主義体制になった祖国ラオスに戻っていったのです。予想していたとは云え、『CIAの手先』などと陰口をたたかれながら、それでも、PADETC(Participatory Development Training Center=参加型開発訓練センター)【注1】を立ち上げ、持続可能な開発の道を追求しつづけました。拉致事件が起こってから、『ソムバットはラオス人ではない。米国の旅券を所持している』といった噂が出回りました。そこで、私が米国大使館に連絡したところ、米国政府が、『ソムバットは米国の旅券を所持していない』という声明を出してくれました。

「最近のソムバットは、仏教の教えに学ぶ作業を深め、開発における精神性の重要さについて考えをめぐらせていました。そこから生まれたのが、『三つのH』、すなわち、『頭(head)と心(heart)と手(hand)』の融合です。知恵と、心情と、実践を合わせなければならないという教えです。また、ソムバットは非暴力を貫き、ラオスで社会的な活動を行うことの制約や困難を熟知したうえで、彼の考え方を若い世代に伝えようとしました。ソムバットは、ラオス政府に反対したことも、社会主義体制に反対したことも、ダムなど個別の開発事業に反対したこともありません。ソムバットが異を唱えたものがあるとすれば、それは、貧困に対してでした。

「ソムバットは、ラオスの将来のためになると思えば、依頼を断ることはありませんでした。ラオスで開かれた欧州アジア民衆フォーラム(Asia-Europe People’s Forum)【注2】の市民側コーディネーターを引き受けたことで、ソムバットにスポットライトがあたり、そのことで、ラオス政府内で国家の安全保障を司る人びとが危機感をつのらせたのかも知れませんが、ほんとうのことは分かりません。事件の兆候があったわけでもありません。少なくとも、ソムバットは、民衆フォーラムの時も、それまでと違った言動を取ったわけではありません。そもそも、民衆フォーラムでのことは、すべてラオス政府・外務省との合意のもとに行われていました。どこかで、誤解が生じたのかも知れません。

「ソムバットが行方不明になってから、ラオスの裁判所に書簡を出しもしました。回答がないので問い合わせてみたら、『書簡は紛失した』と言われました。ラオスにはラオス特有の制約や条件があります。それを考慮したうえで、活動を継続してゆくしかありません」。

【注】
1.PADETCのホームページ:http://www.padetc.org/
2.アジア欧州会合(ASEM)に対する市民社会のオルターナティブ・フォーラムで、二年に一度開催し、参加型開発、人権、平和、社会正義、環境などについて議論する。前回第9回のAEPFは、2012年10月16日〜19日、ラオスの首都ビエンチャンで開催された。AEPFのホームページ:http://www.aepf.info/

(文責 メコン・ウォッチ)

 

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