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パクムンダム>村人の勝利

メコン河開発メールサービス 2001年12月26日


世界銀行の支援で1994年に完成したタイのパクムンダム。住民の粘り強い運動の結果、その水門が今後1年間開放されることになりました!!。水門の永久開放、漁業生態系回復への大きな一歩です!!

以下、ウボン大学教員の土井利幸さんからの報告です。

1991年12月11日、世界銀行の理事会が東北タイのパクムンダム建設に2300万ドルの融資を行なうことを決定しました。アメリカ合衆国の理事らが反対・慎重論を述べる中、日本の理事が「ここで反対派を勢いづかせると今後のメコン河開発に支障をきたす」として賛成に回ったと、今でも語り草になっているあの世銀理事会です。

その理事会からちょうど10年、しかも全く同じ12月11日に、タイ政府がパクムンダムの水門を一年間開放する決定を下しました。地元大学が行なっている環境・社会への影響調査を完成させるためです。

この政府決定をタイの英字紙『ザ・ネイション』は「村人の勝利」として報道しました。以下に翻訳で紹介します。

村人たちは今、小グループを作って東北タイ各地に飛んでより広範な村人の組織化に取り組んでいます。一方で、自然・生活回復のための活動も計画されていると聞きます。運動が新たな段階に入ったと言えるでしょう。


長征が開いたダムの水門
―ダムの完成から何年にもわたって権利を求めて闘い続け、パクムンの130名の村人がついに勝利を手にした。

『ザ・ネイション』2001年12月16日
Pennapa Hongthong署名記事

パクムンの村人たちにとって、ダムの水門を一年間開放するという政府の決定はお慈悲ではなく、70日間にわたって繰り広げられた街頭抗議行動の成果である。

パクムンダムとラーシー・サライ・ダムに影響を受けた村人たち約130人が火曜日(12月11日)にナコン・ラチャシマー県の小道を歩いていた時である。内閣が首相府の提案したダムの水門一年間開放の提案を承認したことを発表した。

村人たちが両ダムの水門の永久開放を要求してウボンラチャタニー県にあるパクムンダムから首都バンコクの首相府に向かって長征を開始してから64日目の出来事だった。

村人たちの要求にも関わらず政府はラーシー・サライ・ダムを除外し、パクムンダムについてのみ決定を下したが、村人たちはこの決定に満足し、長征の目的地をバンコクから東北地方に変更した。

10月9日、村人たちは数ヶ月前から抗議のために占拠していたダムの敷地を後にした。そうすることで、ダムから730キロ離れた首相府の政治家たちに何ヶ月もあげ続けてきた要求の声を聞かせることができると信じていた。

1993年にダムが完成して以来8年間、村人たちはムン川から生活の糧を得ることができなくなった。ダムのせいでメコン河から魚が産卵の遡上をできなくなったためである。東北タイの人々にとっての「いのちの川」は、さらに1995年のラーシー・サライ・ダム完成によって完全に息の根を止められてしまう。

村人たちは淡水魚を追いかける漁師から、街頭で横断幕を掲げる戦闘員に変身した。バンコクを目指す旅に出て街頭を歩き、行く先々で寺院を宿とした。今はナコン・ラチャシマー県の小寺に滞在中である。

ウボンラチャタニー県を出発してから69日間、村人たちはヤソトーン県、シー・サ・ケット県、ロイエット県、スリン県、ブリ・ラム県を訪れ、ナコン・ラチャシマー県にたどり着いた。毎日の生活は繰り返しの連続である。

4時に起床したら心機一転街頭に出る。二列に並んでその日の旅が始まる。曙光すら待たずに長征の開始。パクムンダムとラーシー・サライ・ダムの水門の「永久完全開放要求」を掲げた横断幕と旗を持って、水の入ったペット・ボトルを腰に下げ、村人たちは黙々と歩く。

生活必需品を積んで伴走する小型トラックに備え付けた古いスピーカーを通して、カセット・テープに録音した僧侶の読経が流れる。

「これは一般の人々に私たちの抗議行動が暴力にうったえるものではないことを示すものなのです。仏法(ダルマ)がいつも私たちの心の中に宿っているのです」と、一行を率いるブーンミー・カムルアンさんは語った。連日、行進は三・四時間続くのがふつうだ。夜露をしのぐ寺院を探すのはリーダーたちの責任である。村人たちはいつも15キロをこえない範囲で目的地を定める。15キロをこえると歩けない。

その日の目的地に着くと朝食の用意が始まる。

都会の人間からすると、村人たちは一般市民と政府の関心を引くためだけに自らに苦行を課す頭のおかしい連中ということになるのだろうが、同じような問題に直面して苦労する村の人間には、このような平和的行進が一番説得力を持つ。ウボンラチャタニー県からナコン・ラチャシマー県に至る約500キロの道のりの途中で、一行は多くの人々から声援を受けた。もち米を袋に詰めて渡してくれる人々、干し魚をくれる人々。長征の目的を一般市民に知らせるビラ配りを手伝ってくれる人もいた。

うれしいことに、インドからも友人が応援に駆けつけてくれた。インドを流れる聖なる川の一つナルマダ川に計画された大小のダムに反対する住民のリーダーの一人メダ・パトカルさんがブリ・ラム県に差しかかった村人たちのところに現れた。

16年以上もの闘いを経て、メダさんが率いる「ナルマダ救援運動」はサルダル・サロバル・ダムの建設を中止に追い込んだ。このダムはナルマダ川をせき止める165のダムの中でも最大で、高さは139メートル。もし完成すれば約30万人の住民を移住させることになっていた。結局ダム建設は90メートルの高さで中止になった。

「私たち(の運動)はみなさんとともにあります。闘いぬいて下さい。」メダさんは村人たちを激励した。

ダムの水門が開放され長征の目的地が変更になったとは言え、村人たちの願いは変わらない。

「ダムを撤去して、川を取り戻せ。」一人の村人が叫んだ。

一行はこれから東北地方を巡る。いつまで続くのか誰も知らない。しかし決意は固い。二つのダムが取り壊されるまであきらめない。

<訳者注>

*ダム付近の占拠が始まったのは、1999年3月23日。

**ダムの完成(発電機の運転開始)は、1994年6月29日。

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