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パクムンダム>24日閣議決定の報道

メコン河開発メールサービス 2000年7月28日


パクムンダムを含む16の懸案事項に対する24日の閣議決定を伝えるThe Nationの記事です。すでにお知らせしました通り、パクムンダムについて一部前進があったものの、全体としては農民たちが満足いくものではなかったようです。以下、メコンウォッチの福田健治さんの翻訳です。


「政府からのあまりに少なく、あまりに遅い・・・」

The Nation, Wednesday July 26, 2000

BY SOMROUTAI R SAPSOMBOON,
PENNAPA HONGTHONG,
and SUBHATRA BHUMIPRABHAS

パクムンダムとラーシーサライダムの水門を開放するという昨日の内閣の決定は、抗議している村人たちの賞賛を受けることは出来なかった。村人たちは、政府の決定を「あまりに少なく、あまりに遅い(too little, too late)」と表現している。

3000人もの抗議者と政府との間の紛争は、すぐに終わる様子をみせない。100人の男女が、自分たちの要求を検討するために設立された中立委員会の16の勧告全てを採用しない政府に対する不満を表明するために、この午後からハンガーストライキに入ることを誓った。

内閣は、パクムンダムの水門を1年間の内4ヶ月、ラーシーサライダムの水門を永久に開放することに同意した。しかし、近くにあるシリンドンダムによって影響を受けた2000世帯に対し補償を支払うことは拒否した。このダムは1972年に完成している。

「すでに補償を受け取った人に再び補償を払うことは出来ない」と、政府のスポークスマンであるAkapol Sorasuchartは言った。

政府は、森林の境界線に関するガイドラインとして適用されてきた1998年6月の閣議令の見直しも拒否した。村人たちは、ガイドラインを受け入れることはできないと語っていた。このガイドラインは、自分たちを森から立ち退かせるために作られたと村人たちは主張している。

ダムと森林地に関する紛争は、貧民連合が政府が対処すべきと要求していた抗議の最優先事項である。2ヶ月前副首相のBanyat Banthadthanは、こうした問題を調査するために、尊敬されている学者のBanthon Ondamを委員長とする中立委員会を任命した。

中立委員会は政府に対し、16の緊急のケースに直ちに対処するよう提案した。その中で重要なのは、パクムンダムによる地域の漁民たちの生計への悪影響であった。しかし政府は昨日、委員会の勧告の多くについて行動を取ることを拒否した。

この結果、東北部のパクムンダムやラーシーサライダム周辺から来た抗議者たちは、ダムの水門を開放すべきという要求を内閣が飲んだとしても、家には帰らないと語った。

「私たちは一つのチームとしてやってきました」と、パクムンダムに隣接するウボンラチャターニ県バン・パク・ブンからやってきた42歳のPranee Nonechanは言った。「私たちはここに残り、まだ問題が解決されていない仲間たちに力を貸します」

Praneeは、彼女の夫であるThongcharoenが政府に残る問題に対処するよう求めるハンガーストライキに自発的に参加する一人であると述べた。

2週間前、警察は首相府の敷地内に不法侵入したとして225人の抗議者を逮捕し、多くの人に警棒と催涙弾を用いた。抗議者は保釈された。

抗議者は、逮捕者は無条件で解放されるべきだと要求している。パクムンの村のリーダーであるThongcharoen Sihathamは昨日、逮捕者が行動の結果として法に問われないよう政府が保証するべきだと主張した。

(翻訳 福田健治/メコンウォッチ)

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